雑感

不妊治療に踏み出した理由

今でも携わることが大好きな不妊治療。慣れているから気持ちが楽、ということもあるのかもしれない。
決して人妻に触れたいからではない。

 

さて、私は専門学校を卒業した後、地元の治療院に就職した。
デイサービス、厨房、ジム、プール、訪問看護・介護、ケアマネージャー、鍼灸接骨院、と、地域医療に特化した会社。
その中で私は訪問リハビリ・マッサージ部門。治療院業務は1週間で合わせて1日程度、ほとんどが車での訪問業務。

マッサージで筋肉をやわらげ、坐位や立位の訓練を行う。

 

正直なところ、訪問リハビリ自体はもう2度とやりたくない。精神的に大変だった。
介護放棄されたお宅では尿まみれの畳の上で行い、認知症の方からは叩かれ殴られ爪を立てられ、神経質な家族からは2分短いだけで文句を言われた。

自宅に来てもらう。それは利用者からすれば楽であるが、同時にこちらからすればアウェー。わがままが強く出やすくもなる。

 

 

そんな中、30代半ばのご夫婦のお宅にも毎週伺っていた。
ご主人は難病で寝たきり。動くのはわずかに右足の親指のみ。
自宅で奥様が看護されていた。

元看護師の奥様。子供が大好きだった。しかし授かる前にご主人の病気が判明。
若いためか、進行は早く、すぐに歩行器が必要になり、半年もしないうちに車椅子生活。
わずか数年で寝たきりとなった。

しかし奥様がとても明るい方で、訪問してもまったく暗い雰囲気ではなかった。
いつも楽しく、お二人の好みの音楽を聴かせてもらったり、時には相談事もさせてもらったり。

 

そんな職場で数年が経ち、私は以前から憧れていたウエディングプランナーになるために退職することを決めた。
賛否両論あったものの、どうしてもなりたかったのだ。

いつ頃退職できるだろうか、など考えながら、またご自宅へお邪魔した。
名前をあげるわけにもいかないので、小野さん(仮名)とでもしよう。
小野さんのもとへ訪問した。

いつものように私がリハビリをしながら、小野さんはテレビをつける。
ニュース番組だった。

男性不妊について、と、老老介護についての話題だったと思う。
とりとめもない会話をしながら、ふと小野さんが呟いた

 

子供がいたら何か変わったのかな、、、

 

衝撃だった。よく言う“雷にうたれた気分”とはこういうことを言うのだろう。
あまりにも衝撃的だった。

考えたことすらなかった。子供ができない、ということがあるのか。
避妊しか教わらなかった。授かるのは当然だと思っていた。
他の訪問先はすべて、子供か孫が介護していた。これが「普通」だった。

しかしそうではなかったのだ。
私が知らないところで苦しむ人たちはごまんといて、自分も兄弟がいるのに何も知らなかったのか。

何がどうと具体的にはわからないが、、、、とにかくショックだった。

 

そこから1ヶ月もしないうちに不妊治療専門の鍼灸院を探し、就職希望のメール。
ウエディングプランナーは何処へやら、との勢いだ。
鍼灸という自分にできることで、そこに何か手助けができるのならしたかった

おそらく、一般の治療院よりもよほど涙の多い治療だったことだろう。
だがやりがいの方が大きかった。

 

あの時の小野さんの言葉と場面は今でも覚えている

 

今はもう小野さんは授かることはできないかもしれない。
でもその分、それ以上の子宝に自分が携わっていたい。
小野さんにとっては何の利益もないし、嬉しくもないだろう。

 

あなたのおかげでこの道に進めました、とかなんとかそんなことを言うつもりはない。
せめてあの言葉を胸にもう少し頑張っていたい。

 

誰かが幸せになれば、必ず小野さんのもとにも巡り巡って戻ってくるのではないだろうか。
戻るまで、この仕事で頑張ってみたいと思う。