雑感

少林寺拳法の心

高校時代、なんとも内気な少年であった私は成り行きから少林寺拳法部へ入部した。
よくテレビで取り上げられる中国の「少林寺」とはまた違うものだ。

少林寺拳法とは

ただ身体を鍛えるのではない、心と身体を鍛え、未来のリーダーを育成することを目的とした開祖の思いがあった。

少林寺拳法 初代師家 宗 道臣(開祖)(1911.2.10~1980.5.12)
*少林寺拳法HPより拝借

中国を駆け巡り、その中で少林寺の教えも学びつつ日本に持ち帰り、日本の空手、柔道、合気道といったものを合わせ作り上げた。剛法と柔法、両方を兼ね備えた剛柔一体の拳法が誕生したのである。

しかし始めたばかりの頃。開祖がどのように人を集めたかというと、街中のゴロツキの元へ行き

「ケンカに強くなりたいか?」

と声をかけて門下を集めたそうだ。集め方すごいな。
当然声かけてそれでも全員に勝てる実力を持っていた。
型だけでなく、突きや蹴りの受け流し、襟を掴まれた状態・握手からの関節技などもあり、実践を想定して作られたことがよく伺える。ちなみに正座からの投げ技、関節技もある。(関節かけるくらいなら握手しない方がいいのでは?と思う)

卍の心

少林寺拳法は世界に広がっている。しかし、それだけに卍とヒトラーが繋がるという点で現在は少林寺を代表するマークは双輪となった。

左:盾卍(たてまんじ)、右:双輪

私が始めた頃は卍のマークであったので馴染みが深い。
道着の胸につけていたのだが、なぜ胸につけるのか、という点から説明をしてもらった。

表卍と裏卍

外から見たときに見える卍は表卍。漢字と合わせると、に見える。

人に対しては「優しい心」を見せなさい。愛なき力はただの暴力なり

 

逆に、つけている者側からすると、裏卍となる。漢字と合わせると、こちらは「」だ。

自分に対しては「力=厳しい心」を持ち、日々鍛えなさい。力なき愛は無力なり。

それを胸に秘めているからこそ、人として正しくあれる。
それぞれの文言を合わせた言葉が、少林寺拳法の教えの1つである力愛不二だ。

力愛不二

愛なき力は暴力なり、力なき愛は無力なり。
人を助くるには双方を身につけん。そしてそれを宗とすべし。

治療家もそうなのだろう。ただ助けたい、と思うだけならただの良い人。
本当に何かをしたいのであれば、知識技術がないと何にもならない。

羊を持つ

また、少林寺拳法は、昇級・昇段試験では型や技の確認だけでなく、作文などの筆記試験がある。決してただの格闘技ではなく、「人」を育てる武道であるからだ。

試験前のお勉強会のようなもので師範が話されていた。

みんなの中に“義”を持って欲しい。義とは“正義”のことである。
字を分けて見てみよう。義とは、「我に羊あり」と書く。
羊は、正義、正しさ、良いことの象徴なんだ。

猛々しい角、雄々しさ、そういった羊の姿からも先生のその話は納得できるものがあった。
また、羊は古代中国ではお祭りの時のお供え物でもあった。神聖なものとして扱われていたのだろう。

実際、「羊」の入る漢字はポジティブな意味のものが非常に多い。

善、美、鮮(美味しい魚のこと)、養、などなど

ちなみに、中国のお椀によく書かれているこれは「喜」の字の崩れたもの。こちらははお皿いっぱいに盛られた様子を表している意味だそうだ。それはもう喜びますよね。話は逸れたが、似ている漢字なので、、、、まぁ雑学程度に。

高校時代の思い出

さて、そんな少林寺拳法そのものもそうであるが、この部活があったから私は高校時代に救われた。
力愛不二、拳禅一如、不殺活人、こういった教えと共に支えてくれた友人たちがいたのだ。

ともあれ、私の実力自体は芳しくなかった。県内で少林寺拳法部があるのはたった4校。
県大会が終わればすぐに全国だ。そこで3位以内に入れば全国のはずだったのだが、、、
見事に万年4位の座を保持し続け、全国には行けなかった。基本的には2人1組での組手が主体となる少林寺拳法。3分ほどの時間を使い、6構成でどんな技を組み入れ、どんな流れにするか、というのをペアで考え作り上げる。

当時は100kg手前まで体重があり、かつコミュ障であった私に長く付き合ってくれたペアの内藤くん(仮名)に良い思い出を作ってあげられなかったことは今でも悔やまれる。しかし、当時のメンバーは唯一今でも地元に戻ると飲みに行く仲間たちだ。

本日の学び

・少林寺拳法は腕っ節ではなく、「人」を育てる武道
・愛なき力は暴力なり、力なき愛は無力なり
・かば、県大会万年4位