心理・宗教

死んではならない理由を言えるのか?

2019年5月、大阪の大丸梅田店にて、若い女性が飛び降り自殺をするというニュースがあった。
自殺はいけない、とよく言われ、また逆に昨今ではそれも良いのではということを唱える人も少なくない。

それでも死んではダメなのだ。

事件の概要

少し前のことで、当時は動画もかなり出回ったようだが、ほとんどが削除されている。
わずかに残ったものの1つを載せておく。

【閲覧注意】*自己判断での動画閲覧をお願いいたします
E-News 大阪駅大丸梅田ビルで女子高生が飛び降り自殺?!

2019年5月4日(土)
JR大阪駅に隣接する大丸梅田店の屋上から女子高生らしき服装の若い女性がいるとの通報。
警察官や救急隊員が多数駆けつけ、警察官が1時間弱ほどかけて説得をするも応じず。
昼の12時頃、多くの人がいる中、飛び降りを決行してしまった。

アイドルのライブの抽選に外れたと本人は訴えていたそうだが、きっとそれ以外の多くの要因があったのではなかろうか。

また、この報道の際に自殺の様子をあまりにも多くの人が動画/画像撮影をしており、大阪の民度が疑われるような発言も多々見られた。

その点に関しては言及しないが、こちらのアニメーションは今回だけでなく、現代をそのまま表現した動画だろう。是非見てみて頂きたい。

死にたい相手へかける言葉は??

先ほどの女性は生きることそのものがもう辛くてたまらなかったのだろう。
自分の人生だから、自分の命だから、好きにしたっていいではないか。

仮に自分の家族や友人、恋人が死にたいと言ってきたら。なんと答えられるだろうか?

辛いのは今だけで、きっといつかいいことがあるさ
私だってもっと辛いことがあったんだからあなたも生きなきゃ
あなたが死んだら私は悲しい

これらは本当に効果的な言葉だろうか?

「いつか」は本当に来るのか?
あなたが昔辛いことがあったから、他者にもそれを要求するのか?
自分のことだけで辛いのにあなたの為に生きなければならないのか。

他の視点から考えてみたい。

なぜ生きるのか?

現代の学びでは“どう生きるか”は多く語られているが、“なぜ生きるか”がほとんど含まれない。

  • 仕事を成功させる
  • お金をこんなペースで預金する
  • 子供を育てる
  • 〇〇歳までにはこれをする

これらの為に生きることが”なぜ生きる”の答えだというかもしれない。
だがこれらは“生きがい”にはなって“生きる理由”にはならない

だがこの生きがいこそが人生の全てと考え、苦しくなったのが今回自殺した彼女だったのだろう。

もう生きる理由がない」 と。

だが、今がどんなに苦しくても、死んでしまいたいと思っても、それでも生きなければならない。

生きた方が良い、ではない。生きなければならない

人間に生まれた時点で、100%全員が幸せになれる。
絶対の幸福になれる、これが仏教でいうところの”生きる意味””生きる目的”である。

仏教における幸福

[相対の幸福]
何かを得た、達成した、など相対性の幸福。物欲、性欲、他者の愛情、承認欲求、などもこれに含まれる。
失われるとその幸福感も失うことが特徴。

[絶対の幸福]
ずっと続く幸せ。生きるとはなんと素晴らしいことか、と感じられる、壊されず崩れない、変わらない幸せ。

誰かが、ではない。
男性でも女性でも、
お金持ちでも貧乏でも、
善人も悪人も、
人種も問わず学歴も問わず、
間違いなく全員が人間として生まれたというそれだけで、絶対100%確実幸せになれる

だから死んではならない。

その話こそ根拠がないではないか、と言われることもある。
だが、そこから動き出し、必ず幸せになれる道を仏教は示すことができる。
これは参考書でもビジネス書でも、キリスト教などの他の宗教においても、仏教においてのみ説かれることなのだ。

なぜ苦しむのか

仏教の話はまた改めて時間を取りたい。他の観点から考えてみよう。

アドラー心理学における人生の目標と呼べるものがある

<行動目標>
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
<心理目標>
①私には能力がある、という意識
②人々は私の味方である、という意識

突き詰めると、アドラー心理学の勧める行動はここに集約される

アドラー心理学の心理目標、平たい言い方をすれば、「自己肯定感」と「一体感」だろうか。

何かを失敗したり失ったとき、それが全てであると思ってしまうと深い絶望感に襲われる。
当たり前だが、それがすべてではない

仏教で言えばそれは「相対の幸福」であり、もっと大きな幸福への道筋なのだ。
アドラー心理学で言えば、それだけが全てではなく、失ったとしてもあなたには能力があり全ての周りの人間は味方である。

もちろん、私自身が他者の自殺を止められるとは思っていない。
結局のところ、その人自身がどう行動や考えを起こすかだ。
その時に、太古から連綿と受け継がれたこのような考えが何かに役立ったら良いと思う。