非常に興味深い動画があったのでメモ程度に残しておきたい。
私も現在、英語とスペイン語を学習している。趣味で中国語と韓国語も。
英語の習得は、中学生の頃から含めるのなら学習し続けて14年間、まったくもって話すことができなかった。
ECCに通っていた頃なんかは、成長がなさすぎて先生を困らせていた。
しかし、唯一感じていたことは、英語で話そうとしている時は発想が変わるということだった。いつもと話したいこと、どう話そうかという順序、それらが変わった。
単に好きなアメリカ映画の俳優になれた気分でいたのか?
それだけではなかった。
「言語は文化の鏡」
まさにそうであった。
言語はいかに我々の考えを形作るのか
話者:Lera Boroditsky
演題:How language shapes the way we think
40を超えているのにこの美貌。まずそこから魅入ってしまう←
話す言語は考え方に影響するのか?これがメインテーマだろう。
第二の言語を持つことは
第二の魂を持つことである
ー神聖ローマ皇帝・Charlemagne(シャルルマーニュ)
言語が現実を作り出す、という強い主張である。
しかしながら、
名前がなんだと言うの?バラは別の名前で呼ぼうと変わらずいい香りがするでしょう
ージュリエット
と、シェイクスピアはジュリエットに言わせている。
およそ真逆の意見を著名な方々が議論を何百年何千年とかわしている。
近年、この結果に近いと思われるデータが出てきているようだ。
ここからが面白い。
右左の概念がない言語の民族はすべての方角、どちらの足か、ということさえ全て東西南北で表す。
時系列に写真を並べる時も、我々はおよそ左→右で並べるが、彼らはどちらの方角を向いているかで向きが変わる。
彼らにとっての時系列とは、東→西なのだ。太陽を自然を、時間としている。
また、方角をそのように使っている為、目をつぶっても東西南北がわかるのだ。
ロシア語の青と英語の青も違う。
単色の青を単なる薄い青か濃い青か、に分ける英語に対し、ある程度の濃淡で色の名前そのものが変わるロシア語。
当然、色を見た時の脳の反応も変わる。
スペイン語やドイツ語といった、単語に性別のある言語では、
女性名詞の物を表現する際には、「美しい」「優雅」といった女性的な言葉、男性名詞に対しては「力強い」「長い」といった、男性的な言葉を使う傾向にある。
さらには、うっかり男性が壺を落として割ってしまった、という状況説明の場合
英語「彼が壺を割った」
西語「壺が割れた」
と言語的に表現が分かれる。
英語なら、誰がやったのか
スペイン語なら、事故だったのか故意なのか。
同じ状況でも言語が違うことで、物事に対する論理的思考が変わるのだ。
言語を習得する理由
感じ方、伝えたいこと、伝え方、
全てにおいて、言葉だけではなく思考からすべてが変わってくる
それが言語なのだ。
別の動画でも述べている
言語能力はすなわち、その言語を話す人達の文化に参加するためのチケットなのです
話者:John Mcwhoter
演題:4 reasons to learn new language
人であれば、心があれば、通じる。
もちろんそうだ。
しかし、言語は文化の鏡である。文化とは習慣。習慣はもはやその人の一部。
まとめて相手を理解したいと思うのなら、その言語を学ぶことはとても大切なのだ。
・使う言語によって論理的思考が大きく変わる
・言葉(性質や文法)によって観点まで変わる
・言語は相手の文化に参加するチケット